救急車で運ばれてから、転院まで長いような短いような1ヶ月が過ぎました。
まったく初めてのことだらけで、四六時中ネットでいろいろと気になったことを調べていました
入院初日
父が部屋で倒れているところを発見し、急いで救急車を呼んだわけですが
救急車には母が同乗し、私は自宅に残りました
病院に到着したらドラマで見るような大勢の人が待ち構えていて
父を手際良く担架に乗せて運んでいきました
検査の前後で「ここから先は家族も入れないので、最後の会話の時間です」と言われて
少しの時間だけ父と二人きりになり
「お父さん!!頑張るんだよ!!!」と耳元で言ったものの
反応はなく、やがて病棟の奥へと運ばれていきました
母は検査や入院の申込書、同意書などを必死に記入し
先生からの説明で「脳梗塞です。このまま意識が戻らずに寝たきりで過ごす可能性が高い」と言われ
半ばあきらめながら、自宅にいる娘のわたしに電話したのでした
娘のわたしへの電話のあとは、
病院から指示された着替えや、テレビカードなどを購入し病院に預けました
病院にはたくさんの売店があり、
必要なものは病棟から渡された紙を店員さんに見せればそろえてくれるようになっています
スリッパや乾燥を防ぐためのボディクリーム、パジャマなどかなりの量と金額になりましたが
急な入院でほかに選択肢もなく、ただただ言われたことをこなすことで精一杯でした
着換えの交換をするために、週に1回病院に行かなくてはならず
自宅から行ける範囲とはいっても
ある日突然週1の予定が増えたことは若くない母ににとって負担になりました
それでも、ちゃんと父のためにいろいろとこなす母には尊敬の念を抱かずにはいられませんでした
朝に入院したので、夕方に母が帰宅してから病院でのことを聞き
その後に、親戚に入院の連絡をしました
コロナ禍ということで、面会は一切できないのですが
入院=お見舞いに行くがこれまでの常識だったため
お見舞いができない説明することでコロナ禍を実感しました
入院3日目 病院からの電話
病院から電話があり、「明日、主治医からの説明がありますので来てください」と言われました
命にかかわることですし、こちらの都合はあまり加味されないのではないかと感じました
幸い仕事の都合がついたのでわたしも参加できましたが
そんな急に言われても行けません。。。という人はかなり多いのではないでしょうか
自分以外の誰かに行ってもらうこともできるかもしれませんが
近隣に家族(親戚)が住んでいないときには
なんとしても自分の都合をつけなくてはなりません
働き盛りの世代には家族の入院は大問題です
この急な呼び出しが自分の生活がガラッと変わる序章だったわけです
入院4日目 主治医からの説明
主治医からの説明の日が来ました
事前に、母、叔父、私で参加していいか確認したら
コロナ禍なのでできるだけ少人数で来てほしいが
3人なら大丈夫と言ってもらえたので
3人で参加をしました
このあたりの制限は病院によって方針が違うので
希望の人数で説明を受けられたのはとてもよかったです
なにもかも初めてのことで不安でしたが
不安を必要以上にあおらずに、とは言え過度な期待をさせないように
とても分かりやすく説明してもらえました
現状からみて、発症からどれくらい時間がたっているか
心臓でできた血栓が脳の血管に飛んで塞いだこと
父の脳梗塞は再発しやすいため、これからずっと血液をサラサラにする薬を飲み続けなくてはいけないこと
脳から「言葉」の概念が消えて、言葉をほぼ理解していないこと
言葉が理解できないことでリハビリもできないこと
脳の作りは個人差があるので、どの機能が残っているか正確に判断ができないこと
鼻からチューブを入れて栄養と薬を摂っていること
誤嚥性肺炎になりやすいこと
今後残るであろう後遺症のこと
時間にして30分程度でしたが、たくさんのことを知れたので
先生にお礼を言ってその場を後にしました
主治医の先生からの説明のあとに看護師さんが、父の様子を教えてくれました
パックに入った栄養剤の現物を見せてくださり
寝たきりでも入浴が可能なことを教えてくれました
コロナ禍で面会は一切できません
そんな家族の歯がゆさを察して、少しでも様子を教えてくださるお心遣いに本当に感謝しています
入院8日目 ケースワーカーさんとの面談
主治医の先生との面談とは別に病院のソーシャルワーカーさんからの説明がありました
主治医の先生からは、病状の説明
ソーシャルワーカーさんからは、今後の転院に向けた話と、手続きに関して説明となり
すこし縦割りな感じですが、脳梗塞はそれだけかかわる人が多くなる大きな病気だということです
ソーシャルワーカーさんからの説明はかなりボリュームのあるものでした
まずは役所への手続きで、限度額適用認定証の発行と介護認定申請です
限度額適用認定証とは、1つの医療機関で1ヶ月当たりの医療費が高額になった時に
負担額の上限を上回った分は患者に請求しない制度です
1年間の間に限度額適用認定証を4回(合計で4ヶ月以上)使用した人は
さらに「多数該当」として自己負担の限度額が下がります
保険外で発生した分はそのまま患者に請求になりますが、とても便利な制度です
介護認定申請は、重い後遺症が残ることが確実な父は
自宅に戻った時や施設に入所するときに介護認定がされていないと
介護保険を使ったサービスが受けられないから退院までに介護認定を受ける必要があるとのことでした
介護認定のお話はこちら
そして、現在入院しているのは「急性期病棟」で
1ヶ月程度でリハビリができる状態の人は「回復期病棟」へ
リハビリができない状態の人は「療養病棟」への転院が必要になことと
それぞれの一般的な金額を教えてもらいました
急性期病棟での経過が良い人は自宅へ帰り「在宅介護」の人もいるみたいですが
父は在宅介護は難しいだろうとのことで、回復期病棟と療養病棟の違いを中心に聞きました
今後の1週間の経過次第で「回復期病棟」か「療養病棟」への転院を決めなくてはならないそうで
時間はあまりないと感じました
父は、入院1週間を経過した時点で、食事は自分でできず鼻からチューブを入れて栄養剤と薬を摂取しており
お医者様や看護師さんの声掛けにほぼ反応しないため、リハビリができない状態のため
無理やり回復期病棟へ転院しても、その後に入所する施設料金が割高になってしまうので
遠回しに療養病棟への転院をすすめられました
入院12日目 療養病棟への転院決断を迫られる
ソーシャルワーカーさんから連絡がきました
父の経過は変わらずとのことで
少し強めの口調で「そろそろ転院先の病院を探し始めなくてはいけないので
療養病棟か回復期病棟か決めてください」と言われました
急性期病棟は長くても1ヶ月程度で退院しなくてはならないようで
回復の見込みがなければ、療養病棟へ
リハビリができるのであれば回復期病棟へとなっています
退院するまであと2週間以内に転院先を探さなくてはならないので時間がないのです
しかし、家族としての葛藤が決断を阻みます
簡単に父の回復をあきらめて、療養病棟への転院をさせてしまってもいいのだろうか?
親戚に何か言われないだろうか?(超重要)
先生は回復してきたら方向転換するって言ってたし、
とりあえず今はケースワーカーさんのすすめる通り療養病棟を探してもらおうかな。。。
たまたま週末だったこともあり
無理を言って週明けまで返事を待ってもらうことにした
そして金土日の3日間じっくり考えた
と言うか、療養病棟に転院させて親戚に何を言われても
「経済的なことも含めてリハビリ病棟に無理やり転院させても仕方ないんだ。申し訳ない」と言う覚悟を決めた
入院15日目 覚悟を決めて病院に電話
週明けにケースワーカーさんに電話して
「家族にも納得してもらい(相談すらしていない)、
療養病棟への転院で決めましたので病院探しをお願いできますでしょうか」と伝えた
するとケースワーカーさんから予想をしていなかった言葉が出てきた
「実は、この週末で食事を自分でとれるようになったんです。リハビリの先生も『のどの機能が衰えていないので、このまま療養病棟へ転院になるのはもったいない』と言っていますので、リハビリ病棟への転院でも良いと思います」
療養病棟で衰え行く父を想像して、覚悟をしていただけに
なんだか肩透かしを食らった気分になったが
これで親戚にもいい報告ができると安堵したのです
リハビリ病棟に転院ができるとなったら話は早いもので
早速、転院先の候補の病院を探してもらうことにした
転院先の希望のエリアを伝えると
ソーシャルワーカーさんが父の病状と後遺症を伝えて受け入れてくれる病院を探してくれるのです
わたしたち家族はソーシャルワーカーさんからの連絡を待つのみです
この2週間でも母は、父の入院時に何度か訪問し
着換えの交換をしたり、テレビカードを追加したりしていました
わたしはわたしで、親戚への連絡、父の職場へのお詫び訪問、
保険屋さんへ入院保険金の請求などを行っていました
ひとりでならとても大変なので、お互いできることを分担して進めていきました
長くなったので、続きは別記事に書きます