父が意識不明で救急車で病院に運ばれ
脳梗塞と診断されて入院すること半月
幸い命はとりとめたものの、重い後遺症が残り
どうにか口から食事がとれるようになったのでリハビリ病棟を探すことになりました
前半はこちら
入院16日目から30日目
ソーシャルワーカさんから、回復の具合からしてリハビリ病棟をすすめられたわたしたち
ソーシャルワーカさんが候補の病院と連絡を取ってくれて
受け入れが可能か打診をしてくださいます
返事が来た病院があれば、ソーシャルワーカーさんから
わたしたち家族に連絡が入り
「○○病院の××さんに連絡を取って面談予約をしてください」となるのです
コロナ禍でそもそも面談禁止のところもありました
最終的に受け入れ可能と連絡があったところは4病院
そのうちA病院はコロナ禍の受け入れなので、転院後2週間は個室で生活する必要があり
個室代は自己負担になることと、受け入れ可能な時期が1ヶ月程度先だったこともあり
面談をしないで候補から外しました
B病院は総合受付電話の対応時間が異常に短く、家族として病院と連絡を取るのに不便だと感じたことと
リハビリ時間が少ないと感じたので、こちらも第一希望にならず
約2週間の間に面談に行ったのは2病院
面談自体も主に平日に設定されていて、働いている家族には大変な行事だとつくづく思いました
面談には各病院のソーシャルワーカーさんが対応してくれます
時はコロナ禍まっただ中でワクチンの接種ができるかどうかもわからない時期でした
病院に行くたびに、出入り口にずらっと病院のスタッフさんがいて
検温、当日の健康状態のヒヤリング、来院の目的を聞かれます
自分がウイルスを持ち込んだらどうしよう
病院に行くことで感染したらどうしようと不安になりながらも転院活動に向き合っていました
わたしたちの病院選びのポイントは、洗濯代行をしてくれるのかとリハビリの充実でした
コロナ禍で面会は一切できません
入院中にできるだけ家族が訪問しなくてもいいように
衣類の洗濯をしてくれる業者さんが出入りしているかが重要でした
そのほかの消耗品類も家族が持ってこなくてもいいような仕組みがあれば、より理想的です
リハビリの充実は、父はまだ体力が残っているので
維持ではなく向上を目指してたくさんのリハビリをしてほしかったため
リハビリの量が病院によって違うのであれば、リハビリ量の多いところが希望でした
C病院は駅から病院の最寄駅からやや遠かったため、第一希望にはなりませんでした
D病院は今後の家族の入院で、いろいろと参考になるだろうと思い母と叔父の三人で行くことにしました。
建物がきれいで「365日リハビリを提供している」という言葉と
入院中のアメニティレンタルが充実していたので
第一希望として決めました
D病院のソーシャルワーカーさんに
「正式には急性期病棟のソーシャルワーカーさんからお願いしますが
貴院でお世話になりたいと思います」と伝えてその場を後にしました
どの病院でも説明の書類とは別に入院の申込書も一緒にもらいました
転院までの時間がないので、やり取りをする回数を減らすためなのだと思いますが
転院するしないにかかわらず、書類をもらえたことにより、病院に行く回数が減ったので助かりました
早速、急性期病棟のソーシャルワーカーさんにD病院に転院したいと伝え
具体的な転院に向けて双方の病院のソーシャルワーカーさんがお話を進めてくれます
約2週間の面談中に、病院の担当医の先生から電話がありました
「鼻に入っていたチューブが取れました。通常食を左手でスプーンやフォークを使って食べていますよ。
人の顔も認識できているようです」と、
一時は寝たきりで今後の人生を過ごすのではないかと思われたときからは考えられないほど
順調な回復ぶりです
D病院との面談から数日後、急性期病棟のソーシャルワーカーさんから連絡があり
「転院日が決まりました。○月○日です、D病院が○時までに来てくださいと言っているので、
こちらには○時にお越しください。介護タクシーは当院で手配してよろしいですか?」と言われたので
介護タクシーの手配をお願いしました
人生初の介護タクシーです
それ以前に、「人生初」が多すぎて、かなり刺激的な1ヶ月でした
病院関係以外にも父の車を売却して、父の銀行の通帳を探してお金の流れを調べたりと
並行して行っていたことがたくさんありました
そして転院
結果的に急性期病棟には1ヶ月と1週間入院していました
転院当日は朝早くからタクシーに乗り急性期病棟に向かいました
小さな部屋に通されて、退院になるにあたって
転院先の病院へ渡す書類と、薬の説明を受けました
その後「家族で一人だけベッド周りの私物の回収のために病室にお入りください。
10分くらいで済ませてください」と看護師さんに案内されて
病室に向かいました
本来であれば、お見舞いなどで人が出入りするのでしょうが
コロナ禍では、一切に病室に入ることを許されなかったのです
どんな感じで過ごしているのかもわからないのに10分で終わるかかなり不安でした
約1ヶ月家族の顔を見ずに過ごしてきた父です
脳梗塞の後遺症がどんなものかわからないので
果たして、わたしのことがわかるのか不安でした
しかもマスク越しです
さすがに少し緊張しましたが
ベッド周りのカーテンを開け
「おはよう!」と声を掛けました
5秒程度こちらの顔をじーーーーーーっと見て
やっとわたしに気が付いたようです
声の出ない父と左手で握手を交わし
「右側動かないらしいじゃん!!」と言ったら
左側はちゃんと動くよ!!と言わんばかりに足をばたつかせておどけて見せる父にほっとしたのです
あいさつもそこそこに、さっそく荷物の片付けを始めます
棚に収まっている歯ブラシや老眼鏡などを持ってきた袋に収めたり
パジャマ類を無造作に詰めていきます
家族が一人しか入れないので、黙々と母と叔父がいる小部屋と病室を往復して荷物を運び出しました
荷物を運び終わったころに、病室に介護タクシーのドライバーさんが車いすを押しながらやって来ました
病室近くにいたスタッフさんに声かけてから、父のベッドのそばに来て
ベッドの父を車いすに上手に誘導します
介護タクシーって車いすで病室から車まで連れて行ってくれるんだ
と驚きました
父もベッドから車いすに移譲することに慣れているようでした
1ヶ月の入院生活で、習得したみたいです
父が何ができて、何ができないのか全く知らないので
一挙手一投足すべてが新鮮に感じました
車いすに乗った父は介護タクシーのドライバーさんに車いすを押されながら
パジャマのまま病棟の出口に向かいます
そして出口に見える母と叔父
父は二人のことを見て認識はしていたかと思いますが
目立って表情を変えたようには見えませんでした
病棟から出て、介護タクシーのドライバーさんは父を連れて車に向かいました
わたしは入院費の清算を行うために受付に行きました
入院の清算なんて初めてでどれくらいのお金がかかるのかもわからずに緊張したのを覚えています
1ヶ月と1週間の入院で約22万円の請求
た、高い。。。。
限度額適用認定証を使ってこの金額です
民間の医療保険でカバーされるとは言え、今後が恐ろしいです。。
医療費の衝撃もそこそこに
清算後は父の乗った車に同乗するために足早に病院のエントランスに向かいました
介護タクシーは病院の目の前に止まっていました
初めてまともに見る介護タクシーです
ワゴン車とミニバスの中間くらいの大きさで
後ろに車いすごと車に乗れるリフトが付いています
リフトにはストッパーのようなものが付いていて
車いすを固定できるようになっていました
そして、父が乗った車いすの固定が完了したら、さっそくリハビリ病院に向かいます
約1か月ぶりに外に出た父は、車の窓からの眺めが新鮮だったのか
終始、景色を眺めていました
30分もかからずに、リハビリ病棟に到着しました
介護タクシーから降りる際にも、リフトで車いすごと降ろします
介護タクシーから降りて、ドライバーさんが車いすを押して病院受付に連れて行ってくれます
介護タクシーを使うと、家族が介助をする必要がないので大変便利だと感じました
病院のスタッフさんが、病院の車いすを運んできて
介護タクシーの車いすから病院の車いすへの移譲を行います
右側が麻痺をしていてリハビリをまともに行っていない父は何もない状態で立つことができません
病院スタッフさんの誘導で病院の廊下についている手すりにつかまり
かろうじて立ち上がることができました
立ち上がったら介護タクシーの車いすから病院の車いすを入れ替えて座らせます
父は立ち上がったものの、心なしか立つのに力みすぎて震えているように見えました
車いすの乗り換えが終わったら、リハビリ病棟のあるフロアに向かいます
ここでも付き添い一人しか病棟に入れません
病棟に入るよりも先に介護タクシーへの支払いを済ませましたが
請求料金より少し多めにお渡ししました
本来は、額面通りにお支払いすればいいので
多めに渡す必要はありませんが
家族が全く解除しなくていい状態で非常に助かったので気持ちを上乗せしたのです
ちなみに介護タクシーの料金設定は業界内で統一されていません
各介護タクシー会社が設定しているため、同じ距離でも多少前後します
そして相場は通常のタクシー料金の2倍から3倍程度なのではないかと感じました
やっと急性期病棟からリハビリ病棟への転院の日がきて
無事に急性期病棟から退院ができました
救急車で運んでくれた、救急隊員のみなさま
急性期病棟にて父の命を救ってくださった病院スタッフのみなさま
転院に向けてリハビリ病棟とやり取りをしてくださったソーシャルワーカーさん
多くの方に支えられて、父が助かったのだと実感した1ヶ月でした
次回からは、リハビリ病棟でのことを書いていきます